■2002/05/29 (水) 生協の試食会の巻

来月より、「生活クラブ」という生協に加入することにした。
ノリママやパパはともかく、これからどんどん血や肉をつくっていくユーキのために、より安全な食材を使いたい、と思ったからだ。
今日はその試食会がある、ということで会の方に誘っていただき、出かけてきました。
そこでは、食材に関する興味深い話がいろいろ聞けた。
例えば、豆腐の話。
ふつう、ちゃんとお豆腐を1丁作るのには、大豆400粒ほどいるはずなのに、
市販の安売りのものなどは、ほんの10粒くらいしか使っていないものもあるそう!
しかも、長持ちするのは添加物が入っているからという。

お米なども、市販のものでは「減農薬・有機栽培」をうたっていても、すでに苗には虫がつかないように処理がしてあって、
稲穂に農薬を使用していないだけなのだとか。

ふだん、スーパーで安く買ったものを食べているからって、すぐに体がおかしくなるとか、そういうことはない。
でも、農薬だのよくない添加物だのがたくさん入ってると改めて聞くと、怖くなってくる。

「生活クラブ」では、加入者が積極的に食材を作っている現場を訪れて、どうやってその食材ができてくるのか、確かめるのだという。
また、自分たちが欲しいものがあれば、やはり声を上げて、生産者に掛け合うという。

ただスーパーに置いてあるものを手に取るだけでは、食材が店頭に並ぶまでの道のりがわからない。
肉・野菜や果物にしても、加工物にしても、自分たちの口に入るものがどういう形で作られてくるのか、消費者が関心を持ち、
かかわっていこうとすることで、生産者も簡単に利益をあげることだけを考えるやり方を改めていく。
やみくもに「信頼する」ことをやめて、きちんと知ろう、というのが「生活クラブ」の原点のようだ。


・・・つづく。
■2002/05/28 (火) 昔ながらの家事の巻?

いらなくなったシーツがあったので、ゴミに出そう・・と思った直後、
そういえば実家では、お母サンがよく古布を切っておいて掃除か何かに使ってたっけなあ・・と思い出して、
ノリママもせっせとハサミでちぎってみた。
この作業を時給に換算すると、ペーパータオルが何m買えるかしら・・などと考えながら、どんどんどんどん切り刻んでいく。
そしてビニール袋いっぱいになったボロ布は、晴れてユーキのオシリフキと生まれ変わることとなった。
地球にヤサシイリサイクルをした?ということで、ノリママの心も晴れ晴れ。
こんなふうに、時々、「私のお母さんは、こんなことをやっていたなあ」ということを、してみることがある。
実家にいたときは、母親のしていることを少しも見ていなかった気がするノリママであったが、実際自分が「主婦」になってみると、
母親のしていたことと同じことをしてみようとする自分に気が付く。
これがいわゆるひとつの「伝統」ということなんだろうなあ。
独身時代は何気なく食べていたおかずにも、旬を意識しながらお母サンは料理していたんだろうなあ、とも気がつく。
ちょっと前はフキの煮物を、ちょうど今はソラマメのメニューを、ノリママも考えている。
ノリママのオバアチャンがよく昔作ってくれた「草もち」、あれを今は作ってみたくてしようがない。
草もちといっても、全体が緑色で甘い、和菓子屋で売っているようなのではなくて、ヨモギの葉っぱを手でちぎったようなのを、
小麦粉に混ぜて焼いただけのもので、苦味があるのです。
電話でもして、オバアチャンにレシピを聞けばいいのだけど、なかなかそのためだけに電話もしずらい。

■2002/05/28 (火) 昔ながらの家事、の巻?

けど、ときどきオバアチャンのことも思い出している。
梅干は、昔はみんな自分ちでザルの上で天日に干して、いっこいっこ箸で裏返したんだよ、などと言っていたことなど、思い出す。
そんなことを、今やってみたいなあ、とも思ったりもしている。
ヌカヅケとか、かりん酒とか、そんなものも作ってみたい。
そう、いわゆる「ヌカミソ臭い女」になってみてもいい、と思う。
それ以上に、なれるものなら、なってみたい、と思う。
家庭的な女性を、揶揄するような言葉だけど、それって実はすごく立派なことなんじゃないか。
ノリママなんか、なりたくっても、きっとなれないんじゃないかと思う。
かといって、「生活感のない仕事バリバリのスーパーウーマン」でもないし、ナンのとりえもないなあ。
でも、今のところはそんな「伝統」を思い出したり、やっぱり今度オバアチャンに電話してみようかな、なんて思いながら、
せめて今度は、ミシンで着なくなったノリママの洋服を、ユーキ用に作りなおしたりしている。
そういえば、「昔は一枚の布を、大人の着物に仕立てた後は、着古しを子供用にして、赤ちゃん用にして、それからオシメにして、
最後には一枚の雑巾にして、ボロボロになるまで使ったものだよ。布団だって、何度も打ちなおして、いずれは座布団にして、
それとも赤ん坊用の布団に作り変えて、使ったんだよ」
そんなことを、ずっと年の離れたおばさんが言っていたのも、思い出した。

■2002/05/28 (火) 「痛みに耐えてよくがんばった」?!予防接種の巻

ユーは今日は生まれて初めて注射をしました。
ツベルクリン結核)反応を見る注射です。
「お母さん、赤ちゃんを抱っこして、足を両膝で、右手を腕でぎゅっと押さえててください!もっとちゃんと!」
とお医者様にちょっと強く言われて、母子ともにカタくなっているところへ、左腕に「ブチュッ」。
暴れて泣くかな?!と思ったけど、なんと、ユーは自分の腕に注射されている様をじっと見つめて、
液を注入しているときにちょっと嫌がったくらいで、ぜんぜん泣きませんでした。よし、君は強い子だゾ!
・・・よく、注射の最中、目をそらす人って多いけれど、何を隠そうこのノリママも昔から注射針が自分の腕に入っていくところを
見るのが好きなタイプ!
だって、なんていうか、この不思議な非日常体験を見逃すまい!って感じ?!
ちょっと痛いけど、理由のない痛みではないし、すぐに治まるし・・。
・・う〜む、この興味津々野次馬タイプはどうやら母親譲りなのであった。(笑)

ユーはこれで予防接種は2度目。
最初はひと月ほど前に、「ポリオ」(小児マヒ予防)をやりました。
これは”経口ワクチン”で、こちらの市では春と秋に、近くの実施会場を選んでの「集団接種」です。
ちなみに地方自治体によって、予防接種の実施方法はだいぶ異なるようで、
ある市のママ友によると、ポリオは毎月集団接種できる日があるとか。

ツベルクリン反応も、昨年度までは年に1度の集団接種があったのだけど、今年からは個別になったということで、
近くの接種できるお医者のところへ行ったのだったけど、のんびり派のノリママとしてはいつでもいいかなあと思っているうちに、
遅ればせながら生後七ヵ月の今日に至ってしまって・・・。
同じくらいのお友達が、「生後3ヵ月以降」にできる接種は、もうほとんどすませてしまった、あとは1歳からのだけ、
と言っていたのを聞いて、早くしなきゃ!と思ったノリママだったのでした。
あと受けられる予防接種は「三種混合(ジフテリア・百日ぜき・破傷風)」。
二日後にツベルクリン反応を見てのBCGの接種をして、それからまた期間を置いてそちらも受けに行かなくては。

法律による受けなければいけない年齢の上限は就園、就学前ころなのに、早めに受けさせるママが多いようだけど、
ノリママとしては、まれだというけど「副反応」も怖い気がするのだけど、どうなんだろう。

■2002/05/22 (水) 回想録:ユーキが生まれた後のこと?

ゆぅママさんのHPの「育児BBS」の5月のテーマ「産院の母子同室について」のみなさんの体験談、興味深く読みました。
ノリママも投稿させてもらったのですけど、書きたいことがいっぱいであまりに長くなってもご迷惑なので^^;)
自分の日記にも書いてみることにしました。

ノリママが出産したのは夜の11:00すぎ。その産院では、「出産の翌日から母子同室」と規定されているのだけど、
ノリママのように日付の変わる直前の出産の場合は、産婦の体調を見て、翌々日から同室、とするようでした。というわけで、
ノリママはベビーのいない夜を二晩体験したことになるのですが・・・

出産直後の夜は、興奮して眠れないかなあ・・・とも思ったのだけど、立ち会ったパパも帰宅することになり、一人病室に。
それなりに休養が取れて、迎えた朝のこと。

実は、出産後からノリママが寝かされていたのは、実はふつうの病室でなく、なんと「陣痛室」だったのです!
昨日から病室の方はたまたま満室になってしまっていたということで、空きが出るまで待機させられていたのです。

折しも、朝食を食べ終えた後しばらくして、カーテン越しに、新たに陣痛を起こして入院してきた妊婦の方が入ってきたのがわかりました。

そうすればもう、こちらは耳がダンボ?!

その方はどうやら経産婦で、なんとも上手に息を逃して陣痛に耐えていて、早くも悲鳴を上げていたノリママとは雲泥の差(笑)
うーん、うまいナア〜と感心して聞き耳を立てていると(笑)、
ナースコールを押したその方が「そろそろみたいです・・・」。
それからすぐに隣の分娩室へ移動された様子・・。

もう、ノリママとしては気が気ではない!
昨日の夜の自分自身と重ね合わせて、どうぞ無事に生まれてほしい!という気持ちでずっとドキドキ、さらに聞き耳を立てていると・・・

「女の子ですよ!」
の声が!!
その瞬間、ノリママの目からはセキを切ったように涙があふれてきたのでした!
・・・自分の出産のときには、どう言うわけかおかしくって、babyが出てきた直後には大笑いしてしまったのだったが(それも変?!)、
それなのに何で他人の赤ちゃんが生まれたときにこんなに泣くんだ?!なんて、そんな自分がさらにおかしかったのだけど、
その時はほんとに感動しちゃって涙が止まらなかったんだよなあ・・(今思えば、それも「マタニティブルー」?)

■2002/05/22 (水) 回想録:ユーキが生まれた後のこと?

そんなこともあって、
必然急に一人きりの自分にさみしくなって、自分の赤ちゃんを見たくなって、新生児室まで行くのだけど、
そこは厳重にカーテンで覆われていて、勝手には入れないようになっているわけです。
で、看護婦さんに尋ねようにも忙しそうだし・・・なんて躊躇したりして、
産後直後の母親と赤ちゃんの距離って、すごく遠いものがある。
そして、その日の夜は、相部屋に移されたのだけど、ノリママは一人の夜を過ごすように言われている。
隣のママは、新生児ベッドに寝ている赤ちゃんと一緒で、二人の静かな寝息が聞こえる。

そうなると、ノリママはもうさみしさの極地に至ってしまって、
意を決して夜の10時ごろにもなってナースセンターへ・・・。
「あのう、赤ちゃんダッコしてもいいですか・・・?」
すると、看護婦さんは、次のミルク(哺乳ビン)が11時だから、それまで部屋に連れていっていていいわよ、という。

おそるおそる、赤ちゃんを抱いて部屋に戻る。
・・・そうしたら、今度はものすごい不安に襲われてしまった。
「これからこの子をちゃんと育てられるのだろうか?!」

しかも、こわごわ抱いているbabyは泣き出すし、隣のママ&赤ちゃんを起こしちゃう!ともうどうしたらいいか
わからなくなっちゃって、
30分もしないうちに、またナースセンターを訪れて、看護婦さんにbabyを返してしまったのでした。

このことは、自分は母親失格なのではないか、という気持ちをしばらくひきずらせてしまったのだった。

子供を育てる、ということがどういうことか、知識も身近な体験もなかったノリママとしては
(親戚や友達の小さな赤ちゃんを見たことがある、抱いたことがある、ということだけでは
ほとんど自分自身の子育てには充分ではなかった、ってこの時はじめてわかった)、できるなら、出産直後から母子同室で、
しかも経験豊富な看護婦さんが、24時間一緒にいてくれたらいいと思う。

■2002/05/22 (水) 回想録:ユーキが生まれた後のこと?、の巻

って、それはとても難しい要求だろうけど、出産直後の、さっきまでお腹の中でぐるぐる動いていてまさに一「身」同体だった
自分の赤ちゃんがいなくなったぺっちゃんこのお腹で一人きりでいるのは、ものすごい喪失感を伴うことだってよくわかったし、
だからといって急に母子同室で二人きりで過ごせ、と言われるとしたら、簡単な指導があったとしてもどうしたらよいか
途方にくれてしまうことになる。

そこで重要なのが夫や実家の母親などの、家族の役割なのだろうけど、それでも夜は一緒にいられないし、ただひとつの救いは、
赤ちゃんの泣き声にお互いに気を使ってしまうけれど、相部屋のカーテン越しの隣のママの存在、だった。気を使うのが大変だから、
個人部屋がいい、という人もいるようだけど、私はそういう理由で、相部屋でよかったと思っている。

「生みの親より育ての親」というけれど、そのとおりだと思う。
「お腹を痛めた自分の子」とことさらに強調することもあるけど「お腹を痛めた」ことってわりとケロッと忘れてしまうもの?
それよりも育てる苦労をしてはじめて少しずつ母親になっていくものだと思った。

「はじめての、赤ちゃんとの二人きりの夜」はきっと誰もが経験して誰もが不安を感じて、そしてそれを出発点にして
堂々たる母親になって、不安を感じたことなどすっかり忘れて、平気でわが子を叱ったり?するようになるのだろう。
空気のような当たり前の存在になって、家族となっていく、そういうものなのかもしれない。

ノリママも「母親失格?」と思ったことは今では笑い話のようだからふつうの産院というのはそういうものだと思えば
それはそれでよかったのだけど、でももしまた初めてのお産をするとすれば、不安を感じない、
しかも母子が生まれてすぐから当たり前のように自然に一緒にいるお産を、したいなあ。

でも悲しいかな、次にお産をするとすればもう一度経験済みのこと、感動とか新鮮さって薄れちゃうのかな?
わからないけどきっと余裕が持ててまた違った感動があるかもしれない、と期待したりもする。っていっても
到底まだ二人目などとは想像つきません!

 関連日記 「憧れの出産」3/14
      「出産記録」1/30

■2002/05/20 (月) ペットやってます?!の巻

最近のユーキときたら、ずりバイが楽しくて仕方ないらしい。
ズリズリとどこへでも這っていく。
ユーキを居間に転がしておいて、ノリママがちょっとお勝手で用をしようと思うと、やっぱりズリズリとついて来る。
その途中、スリッパなどあろうものならさっそくつかんでなめてかかろうとするので、いつもちゃんと片付けて置かないといけなくなった。
とうとう部屋のごみ箱もテレビの上に。
手を出して、ひっくり返すのである。掃除機をかけたばかりなのに、ゴミ箱に捨てたはずのゴミがまきちらされた時は、
どっと肩の力が抜けた。
・・これではまるで室内犬でも飼っているようではないか!
この頃の赤ちゃんて、犬や猫のペットと同じようなものだった。
「こっちおいで!」と遠くから手をたたいてやるとズリズリ寄ってくるユーキのオシリに、もしシッポが生えていたら、
まちがいなくそれはちぎれんばかりに左右にブルブル振れているにちがいない。
ついでに、「添い乳」をするノリママも自分がよつんばいの動物ではないかと錯覚しそうになることがある。
昼間からマットレスの上に親子してゴロゴロ転がって、ユーキの気が向いたときにオッパイを吸わせられるようにしていると、
ケモノになりさがってしまったような自分にふと気付いてがく然とし、けれどもこれが育児というものか、
とあきらめにも似た解放感を覚えるのである。
事実、ギャアギャア泣いているユーキを抱き上げるだけでなく、ノリママが隣に一緒に転がってやるだけで、ユーは泣き止むことがある。
それだけでなく、今度は自分から動き出して、一人遊びを始めるのである。
そんなユーキの背中を同じ高さで見つめる時ノリママは、子育てをするいろいろな哺乳動物のそれぞれを思う。
野原の犬や猫も、牧場の馬や豚も、草原のライオンやシマウマも、みんなこうやって子供の無邪気に遊びまわる姿を、
ほほえましくのんびりと背後から見守ってやるのが、母親の役目なんだなあ、と。
そこから、子供は自立の第一歩を踏み出しているのだろう。
だから今は、そういう母親としての役割を果たすために、あくせくした気持ちでいるのはよそう、それから子供を見おろす視線よりも、
後からそっと手を貸すような存在でいよう・・と思うのだけど、それもつかの間、
社会復帰がしたいという焦りと、いずれ子供のためにとつい買ってしまうキョウイク用品の山は、
今日もノリママの心をサイナムのであった。

■2002/05/17 (金) 深窓のオバアチャン、の巻

ベビーカーに乗ったユーキのお散歩コースの途中に、その昔は何かの商店だったのではないかと思うような、
古いガラスの引き戸が入口の家が、何軒か連なっている通りがある。
ノリママたちが住むこの街は、古くは城下町で水戸街道が走っているところだから、
その旧道などにはかなりの年月を経たであろう昔ながらの商店街の面影が、ところどころに残っているのである。
木製の桟(さん)にはめられたガラス戸を開ければ土間があって、その奥には畳の敷かれた高くて広いスペースがある。
(正式には何て言ったらいいの?)
そんな造りの一軒の前を、ユーキの乗ったベビーカーを押して歩くノリママが通りかかったとき、そのガラス越しに、
畳に座ってこちらを向いている年のころは・・・、白髪で、落ち着いた色の着物を身につけ、背中をぐっと丸くした、
そうもう90には思えるオバアサンがいるのが見えた。
そのオバアサンは、その時、それはもうしわくちゃの顔を、これ以上はしわにできないというほどさらにしわくちゃにして、
笑って頭を下げてくれた。きっと、ベビーカーのユーと、目が合ったのかもしれない。ノリママも、つられて頭を下げた。
そんなことが、2、3度はあっただろうか。
オバアチャンはいつでも、そこに座って外を眺めて、ひなたぼっこをしているようだった。そして、通りすがる人みんなに、
ガラス越しにあいさつをしているのだろうと思った。
その後、雨が続いて久しぶりにその道を通った時、以前のようにノリママはちょっと期待して、その家をのぞきこんだ。
すると、今日はそこにはオバアサンの笑顔はなくて、そのオバアサンがいるはずの場所のはす向かいに、大きなユリの花が何輪か、
花瓶に活けてあるのが見えた。
そんな期待の裏切られ方が、あるとは思わなかったノリママは、一瞬、違う家をのぞいてしまったのかと思ったのだけど、
そうではなかった。
そして、その後すぐに思い浮かんだのは、「まさか・・」という言葉。
なんだかドキドキして、足早に通りすぎて、またその日の夕方。
のぞいてみたそこには、やはりオバアサンはいなかった。

それから数日、まだそこを訪ねてみてはいない。
また今度、ユーキとお散歩に行くときには、やっぱり期待して、そこを通るのだと思う。

■2002/05/13 (月) 病院にて、の巻

大病院で、処方される薬を受け取るのを待つ時間は、相当長い。番号札を渡されてから薬のできたことを示す電光掲示板に
その番号が点灯されるまで、いつ行っても最低1時間はかかる。診察するまでだってかなりの時間を待たされているのにこれでは
母子ともにげんなりとしてしまう。他の患者さんだってそうだろう。

だから必然、投薬待ちの座席は、即席井戸端会議場となる。

今日も、ユーキはお隣に腰掛けられた年配の方に、声をかけられた。
「かわいい坊ちゃんね、おいくつ?」

ノリママは、こうやって見ず知らずの大人の人にユーキが話しかけてもらえるのはとっても貴重な体験だと思っている。
昔は子供は地域で育てられたものだった、とよくお年寄りが言うのを聞くけれど(30になる)ノリママでも、
近所のオバチャンに叱られた、なんていう経験はあまり記憶にない。

そんなノリママが思い描く「地域が子供を育てる」環境とは、いわゆる「スーパー」ではなく、商店街で毎日の買い物をする風景である。
八百屋へ行けば「おう、今日も坊ちゃんは元気かい?」とそこのご主人に声をかけられ、魚屋へ行けば「今日は新鮮なカツオが入ったのよ!」
と奥さんにもちかけられる。
そういう中で育つ子供はよい人間関係が築けるだろうし、ママの方だって自分だけの子供という感覚から抜け出て
「みんながかわいがってくれるうちの子」という意識がもてて、いわゆる虐待なんてことは絶対に起こさないだろうと思う。

昭和30年代を描くマンガ「サザエさん」は、まさにそういう風景を映し出しているのだ、とつい最近久しぶりに
サザエさん第一巻」を読む機会があったノリママは、思いました。
サザエがタラちゃんをおぶって(もちろん前バッテンおんぶひも!ベビーカーなんてオシャレナものは存在しない!)
自分の買い物カゴ持参で買い物をする姿はもちろん、火鉢を囲んでおしゃべりをするヒトこまなどは
もう現代においては存在しないひとつの「井戸端会議」の風景でもある。

でも、変わらないものもある。それは、子育てに一生懸命なママとしてのサザエさんの姿だった。
動きはじめたタラちゃんを自分の近くで遊ばせながらも針仕事の内職をがんばるサザエさんには共感。
昼間添い寝をして寝かしつけてる絵も。

ただ、どれにしろ必ずおかしなオチがあるのが4コマ漫画!
続きはぜひ本を手にとってご覧あれ・・!

TVの「サザエさん」とはちょっと違います。
■2002/05/13 (月) 血液検査の結果は・・の巻

半月ほど前にしたユーキのアレルゲン検査の結果を聞きにまた病院へ行った。
結果は・・。レベル6まであるうちの、ユーは「(生の)卵白」が3、「ゆで卵」が2、「卵黄」が1、
それから「小麦」「米」も少し出ていた。牛乳、ハウスダストは陰性だった。
まずはハウスダストが原因でなくてよかった、「(ノリママが)掃除をちゃんとしないからだ!」と時々パパに叱られていたので、
これで堂々とノリママの手抜き掃除のせいではなかった!と言える^^;)
(でももちろん、いずれの原因になることもあるので掃除機をこまめにかけたり布団を干したりは、大事なことである)
お医者様に聞くとやはり離乳食では卵は遅らせた方がよいとのこと。でも、アレルギーの原因というのは、それだけがすべてではなし、
ほんとうに調べるとなるとぼうだいな種類の検査が必要でそれは不可能なこと、ただそういう体質に生まれてきてしまったということは
確かなので、いろいろなことに気を付けながらも食事は偏りのないようにとって、アレルギー体質と上手に付き合いながら
根気よく治療を進めることが一番大切なのだそうだ。
そもそも、外界の異物から身を守るための免疫機能がなければ動物は生きていけないのだけれども、
その機能が過剰に反応しすぎて起こるのがアレルギーというものなんだそうだ。その基本数値は、ユーキは100程度で正常だった。
これが、ひどい子だと1000にもなったりするのだという。
重症のアトピー性皮膚炎や、喘息になどなったりするとそういう数値がでるのだろう。
年々、アレルギーの子供が増えているという。
大人の花粉症も。
原因は、いろいろ言われているのだろうが、つまりは人間が「異物」と認識するものが、この現代社会においては多くなった、
ということなんだろう。
農薬付きの野菜にしても、排気ガスにしても、そういうものから身を守ろうとする結果、別のちょっとしたことでも過剰に反応する
デリケートな体が生まれてしまう。
そんなユーキのおかげで、我が家の生活にも革命が起きそうだ。
食器洗い洗剤や洗濯洗剤は植物性のものに。洗濯機にはカビトリ剤を使用した。
食物に関しては、スーパーに行けば「減農薬・有機栽培」その他「安全」の表示があるものに目がいく。
それは手間もお金もかかることだけど、自分たちの健康と、地球の環境をちゃんと考えることを、ユーキに教えてもらった、
と言えるのかもしれない。

■2002/05/12 (日) 7ヵ月つづき

離乳食もだいぶ進んだ。本当は6ヵ月から「2回食」ということだけど、慎重にしてきたので1ヶ月遅れて今月から
2回食にすることにした。
そうしたら、お通じが2,3日おきほどだったのが毎日あるようになった。ってことは、やっぱりもっと早くからちゃんと
2回にした方がよかったのだろうか。それからケイジョウもよりコケイに近くなってきてしかもさらにクサ〜い!
おかゆ作りは、粉状のフリーズドライのものを卒業しようといくつかの方法を試してみたけど、炊飯器の「おかゆ」モードで
炊いたのを30〜50gずつ小分けパックにして1週間分ほど冷凍しておく形に落ち着いた。一度ホーローのなべで分量どおりに
作ってみたのだけど、なべをこげつかせて失敗。土鍋でやったらうまくいったけど火加減を見るのもその後お鍋を洗うのも面倒!
離乳食のメニューもさらに増える。
おかゆにいろいろ混ぜてやる。すりおろしたニンジンとか、ゆでてつぶしたさつまいもとか。野菜、魚・肉類、果物類など
偏りがないようにと考えるのだけど、今のところはタンパク質をとらせるのは、豆腐か、すりつぶした子女子、白す干が主。
それから2回食の合間の昼時には、「フルーツ汁ヨーグルト」?をやることにした。
それと、ほうじ茶をコップから飲ませることに挑戦しはじめた。まだ、のどに流し込む量をうまく調節できないようで、
よくむせてしまう。

「アーン」が上手にできるようになった。はじめの頃は、スプーンをむりやり口にネジコムような感じだったのに、成長したものだ。
「アーンして!」とノリママが言いながらスプーンを近づけていくと、パカっと大きく口を開く。パブロフの条件反射みたいで?
これもひとつの「芸」かな?。犬の「お手!」じゃないけど、こちらが要求したことに対してユーキが反応するのは、
まるでペットに芸を仕込むようで楽しい?!。ハイハイの「おいで!」もそう。ズリズリと笑顔で近寄ってくるのは、
なんともかわいい^^;)こんどフリスビーでもくわえさせてみようかしら・・・!

■2002/05/12 (日) 祝!七ヵ月

ユーキメモ:
       体重7,6Kg 身長71cm 足の大きさ10cm

この1ヵ月の成長は、めざましかった。
1ヵ月前には、寝返った後にうつ伏せ状態でいるのがやっとだったのに、急にころころ転がるようになったなあと思ったら、
すごい勢いでハイハイをし始めたのである。180度回転もお手のものになった。呼ぶと、体ごとこっちを向く。
・・それはある朝だった。ノリママが目覚めると、添い寝をしているはずのユーキが隣にいないのである。 
「?!」と思って、枕もとの上の方を見ると、起き上がりこぼしのようになっている目覚まし時計を追っかけて、
ユーキはずっとノリママの頭上のかなたに消えていた! このときばかりは寝起きの悪いノリママも、
あまりのユーキの突然の成長に飛び起きたものだった(笑)
ユーキはどうやらとても寝起きがいい。朝は、泣き声で起こされるということが少なくなった。ただ寝つきは悪く、
夜9時に寝かせた後はノリママが布団を抜け出ると、何度もヒーンと呼ばれて、居間と布団を往復しなければならないのがつらい。
夜中もやっぱりまだ2,3度は起きて泣くので、「添い乳」するのだけど、それは以前のようにおっぱいをやるのが目的、というより、
また寝かしつけるための道具、といった感じで吸わせる。で、ノリママのほうも慣れたものでだいたいはそのまま知らないうちに
寝入ってしまって、掛け布団のずっと上のほうでお腹を全開にしたまま朝を迎えるのである。暖かい日なら、それもよい。
これが思わぬ冷え込みにあったりするとのどが痛くなっていて困る。

■2002/05/01 (水) 人見知り、猫見知り(?!)の巻

GWも半ば、ノリママは久しぶりに友達や親戚の人たちに会って、ユーキは抱っこしてもらって、ゴキゲン・・・
と書きたいところなのだけど、どうやらユーキは「人見知り」が始まったようで、ほんとうに機嫌のいい時でないと、泣き出してしまう。
それにもかかわらず、ママにくっつかれば即、泣き止むのである。
ママ冥利に尽きる、といえばそうなのかもしれないけど、ママとしてはやっぱりユーキの一番かわいい満面の笑顔を、
みなさんにご披露したいところではないか!!
ということで、ユーキ君には早く人見知りを卒業してもらいたいなあ。
・・・ところが、笑ってしまうのが、ノリママ実家の愛猫ブラウンとユーキとの関係である。
ユーキが生まれて退院してすぐ、実家に戻るときにいったいブラウン君はどういう顔でユーキを迎えてくれるのだろうかと、
ノリママは期待半分、不安半分でドキドキしていたものだった。
ブラウン君は、数年前に道路端でニャアニャア鳴いているところをノリママに拾われてからというもの、
ノリママ一族の愛を一身に受けて育ってきたのである。
それが突然現れた新参者に敵対心を燃やして爪を立ててくるのか、それとも弟分としてかわいがってくれるものか。
ところが予想に反して、ブラウンはユーキに「無視」を決め込んだのである。
ユーキが泣いても覚めても、知らんぷり。
それにはノリママは拍子抜けだった。
おそらく、ブラウン4キロの自分の体重よりも小さく身動きもしないユーキに、彼の方としてみれば興味を持つ必要がなかったのだろう。
まるで「モノ」扱いである。
それがこのたびの帰省では、ブラウンはすっかりユーキに怯えてしまっているのである。
すでにユーキの体重は7キロ超、さらにそれがゴロゴロ動くわけであるから、もともと臆病なブラウン君のこと、驚いてしまったようだ。
けれど、ユーキの方は「猫見知り」しなかったみたい?!
「ブラウンだよ」
と教えてやると手を伸ばす仕草をする。
ブラウンは、のっそりと逃げ出す。
・・・ブラウンの「ユーキ見知り」はいつ終わるのだろう。
ユーキの「人見知り」とともに、卒業できるといいね。