終戦から60数年。
ようやく、その悲惨な体験を語ろう、語らなくては、という方々の
インタビューをまとめている、という話題を今日の新聞で読んだ。
高齢化している戦争体験者は日々亡くなっている。
私の祖父もそうだ。
3年前に83で亡くなった祖父は、海軍に所属して船に乗ったという。
その頃の体験を、私は祖父からきちんと聞いたということはなかったけれど、
何度か、白い水兵服を着ている写真や、大きな船の前で撮られた集合写真を見せてもらったり、
「志願して、成績が良かったから憧れの海軍に行けた」というような
話を聞いたりしたことがあった。


と、今回は戦争の話をしたいわけではない。
私は、思いをはせるのだ。
青春時代に自分の心身へ強烈な出来事として
焼きつけられ、刻みつけられ、記憶として残されたものとともに
どういう思いでその後を過ごしてきたのかを。


祖父はその後工務店をおこして
体を張って生き続けてきた。
だけれど、「戦争反対」の平和な世の中にあって
(田舎住まいで、家族親類を多くなくしたとか、誰かの命を自分の手にかけたとかいう悲惨な戦争をそれほど体験しなかった)祖父は、いつまでも心の中に、水兵服を身に着けた自分の姿を
甘美なものとして生かし続けてきた。
(と、私は思う。
おじいちゃんが(それとなく)死ぬまで捨てないでとっておいた、という水兵帽を
おばあちゃんと息子3人は、お棺の中に一緒に入れてやったのだ。)



これはある個人(故人)の、一例にすぎない。
タイタニック…」
マディソン郡…」
ここで今更のような、映画を持ち出したら陳腐で不謹慎だと笑われるだろうか。
けれど、厳密なる個人の、心の中の深い湖に沈められた何か。
それはどんな他人の誰であっても、こじあけることはできないし、推測をすることしかできない。
そんな「何か」は成熟した大人になった誰も彼もが、いったい持ちあわせているものなのだろうか。
そしてその何かに対して、平凡な日常生活を何気なく営みながらも、どんなふうに向き合っている(きた)のだろうか。
多くの人に尋ねて回ってみたい、と思ってみたりもする。



とても重たい課題で、自分自身にさえどうしたらいいか、よくわからない。
深い湖に沈めたはずのものだから、そう引き上げたくはないし、引き上げられない。
だけれどその湖を、子どものようにまっさらな、澄んだ湖にすることができたらどんなにすっきりとするだろう。
誰かと共有することができたら、半分くらいはその重さから解放されるのだろうか。
けれどもその「何か」があるから今の自分があるのであり、自分だけの重みとして引き受けるからこそ
「自分」なのであり、誰にも立ち入ってもらいたくない。


それでも自分が死ぬまぎわには、
その重りの処理の完結を試みようとするものだろうか。




なあんて書いたら、すごく秘密めいてるね。
本当は、たいしたことないのかな。よくあること。