下の子は、たくましい。
上の子の習い事などに「つきあわされて」ついでに連れられてきているのだけど
とくべつに不平も言わず、その場で自分なりの楽しみを見つけることができる。



お兄ちゃんがサッカーの練習試合、
さととげんは周辺の空き地で草つみなどをやっている。
そんな中、さとと同い年くらいの知らない男の子がひとり、
一緒に行動しはじめる。


3人はひとしきり草つみに夢中になっていたのだが、
ふっと時間の流れがとまったように、男の子がさとかに言った。


「キミ、名前は何ていうの?」


(キミ、名前は何ていうの?)



私はその言葉を頭の中で反芻した。
・・・ませたもの言いをする子だ。



ぼくは、○○○△△△。


さとは、草つみをする手を休ませることなく、
「さとか。□□□□」。




子どもだってまず、名乗るところから関係ができていくのだろう。
何も知らなくても、子どもはすぐに誰とでも仲良くなれる。
でも、名前を呼び合うことで、そこから遊びの幅がぐっと広がる。



(げんも含め)3人は、それから遠くの斜面まで走っていって、
「山のぼりごっこ」を始めたようだ。
もう私に彼らの会話は聞こえないけれど、
坂を登っては駆けくだりを繰り返し、その歓声だけが風に乗って聞こえてくる。





<この岡に 菜摘ます子 家告(の)らせ
名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ ・・・・>

             (万葉集 巻第一 冒頭)







                  • -

蛇足:
私の生まれ育ったところなら、男の子たちは
「おめえ、何ていう名前なん?」
「名前何て言うんきゃ〜?」


と言ったところか。
ガキ大将だった、てっちゃんを思い出した。
工業高校を中退して、今でもかわら職人、がんばっているんだろうか。