夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

「夢は起きて見るものだ!」
と、どこかで聞いたような言葉を
真新しい日記帳の第1ページ目に書いた
高3のお正月。(たしか)。
眠い目をこすって、受験勉強してた。


あの頃に戻りたいなあ〜とも思わない。
そして、このタイトル。
ああ〜それでいいんだなあ〜と
思わせられる。



英語の「夢」=DREAM
は、「喜び・音楽を心に描く」が原義。(ジーニアス)



漢字の「夢」の字源は、
「人が屋根の下の寝台に寝て暗い中で見る」。(漢語林)



この西洋と東洋の思想(発想)の違いが、
日本語の中でごちゃませになってるんじゃないかなーと思う、
私の頭の中でも。




それから、例えば
「夢中」の訳は、
英語ならcrazy、
中国語なら「迷」「酔」などになるようだ。
「夢」が表す意味が、日本語では広すぎる。



日本語で、「将来の私の夢は・・・」と使う場合も、
中語語では「夢」とは言わない。
「理想」と言う、そうだ。






多少乱暴だけど、こんな表に。

●英語では、(寝て見る)「夢」は「理想」「楽しい空想」に発展した意はあるが
「悪い夢」「はかない」「幻想」などのマイナスイメージはない。
●中国語では、(寝て見る)「夢」は基本的に「はかない」意であり、
「理想」の意では使わない。が、「空想」の意なら(楽しい意でも?)使われる。
●日本語では、”すべて”OK(笑)。


だから、日本語では
夢=理想=はかない
とも?(悲しい)



英語圏の人に日本語で
「人生は夢のようだ」
と話したら
<暗くはかない>意で言っているのに
<楽しい空想のよう>と誤解されるかもしれないし、




中国の人に
「私の将来の夢は・・・」
と話しても、
それが<理想・目標>としてはとらえてもらえず
<ぼんやりとした空想>くらいに理解されてしまう。




ということになるのかな。