Kさんが言っていた。
うちのおばあちゃんがね(89歳)、ほんとここ2週間なのだけど
昔と今のことを混同するのよ。
もう成人して40にもなる姪のことを
まだ小学校から帰ってこない、と心配したり
ちょっと前までは私が行くと
お菓子でも買いな、ってお小遣いをにぎらせてくれたのに
そんなこともなくなって
周りのことが考えられなくなってしまったのね。
ああいよいよかな、って思うのよ。



人は宇宙からやってきて、宇宙に帰る。
いわゆる認知症などという症状は、日常生活を営む上ではとても悲しいこと。
でもふと思う。
そういうスパンの中では、たった数十年の混同など、たいしたことのないことではないかと。
おばあちゃんの話を聞いて、確かに私はその場で涙を流した。
けれど、生き物としてのすがすがしさをなぜか思うのだ。
それは当たり前のことなのだ、と。



車谷長吉さんの土曜日のコラムがいつも笑ってしまうほど面白いのだけど
「性は死の恐怖と同じです」とよく言っていて
私にははじめよく理解できない感覚だったのだけれど
なんだか最近何となくだけれど理解できるような気がしている。
生まれるのも死ぬのも、宇宙から来て宇宙にかえる。
私は宗教もなにも信じてはいないけれど、なんだかそれを実感するようになってきた感じ。
長い長い宇宙の歴史に比べたら人の命などはかなくて、
それでも生命のある状態でそこに存在していることがどんなに貴重なことかということ。
そこで悩み、感情が動くということは、ある意味私がしていることではない、生命としてプログラムされた何かがなせるわざ。
私のおばあちゃんも今度89になる。
畑仕事をするほど元気だけれど、
おばあちゃんのことを、今日は思い出しました。
そしてきたる両親のこと、かぞく、さいご、自分自身のこと。