夜寝る前、「何かお話しして!」と子どもは言う。
絵本や、絵のない本を読むこともあるけれど、ときどきはかんたんな作り話をする。
それらはほんの思いつきで、右から左へ流れていくような、話したそばから
言った本人は忘れてしまうようなお話なのだけど、
主人公がだいたい自分自身なものだから、
子どもは<次はどうなるの?>という顔で、わくわくしながら聞いているのがわかる。
その反応がおもしろくて、ときには変な、こわいキャラクターを登場させたり、
少々きたないようなエピソードもとりいれたり
からかいながら話は進むのだけれど、



松居直さんや斎藤惇夫さんの講演会を、むかし(ゆーきがまだ幼稚園のころ?)聞きにいったことがあって
今でも印象に残っているのが
・昔話はかならず「3回の繰り返しが登場する」。世界共通。
3びきのやぎのがらがらどん。3匹のこぶた。3回の繰り返しの行動があり、最後、話が飛躍して次の展開へ。
「わくわく」「まだまだ」を繰り返し経て、クライマックスへ。
・「行(ゆ)きて帰りし物語」。どこかへどんな過酷な旅に出ても、必ず最後はふるさとや母親などのもとに戻ってくる。
そうなることで、聞き手は安心してその物語と同化し、ほっとしてお話を聞くのを終えることができる。



などなど。


実際子どもの反応を見ながら話していると、それらのセオリーの効果がよくわかる。



・・・ひとつ、思い出して書いてみようかな。
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むかしむかしあるところに、○○ちゃんというかわいい女の子がいました。
さとちゃんはたいへんおなかがすいていましたので、何かたべたいなあと思っていました。
ふとまわりをみると、みかんがひとつありましたので、さとちゃんはそれを食べようと思いました。
でも、食べてしまったらそれでおしまいなので、たねをとって、おにわにうめることにしました。
たねは、3つとれました。
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それから3本のみかんの木は大きくなり・・・


1本の木のみかんはたいへんすっぱいみかんで・・・
べつの1本のはあますぎ・・・
最後の1本のはちょうどいい。


ちょうどいいのは100個とれ、
村のいちばに売りにいきました。
みんな、とても喜んでくれました。



すっぱすぎるのと、あますぎるのは
どうしようか考えました。



いいことを思いつきました。
両方をあわせてジャムにするのです。




おおきななべで、コトコトと煮ました。



たいへんおいしいジャムになりました。


びんに詰めると、100個になりました。


やっぱり村のいちばに売りにいくと、
たいそうみんな、喜んでくれました・・・。



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