春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと

読書中。
考えながら、そして涙なしには読めそうにありません。

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(抜粋)p60
我々は諦めるという言葉をよく使う。
語源に戻って考えれば、「諦める」は「明らめる」、
「明らかにする」である。
事態が自分の力の範囲を超えることを明白なこととして認知し、
受け入れ、その先の努力を放棄して運命に身を任せる。
我々は諦めることの達人になった。
だからこそ桜があれほど愛されるのだ。
咲いた以上は散るしかないとわかっていても、それでもなお精一杯に咲く。
ぼくはそれを称揚する日本精神の類が好きではないけれど、
しかしそういう思いに駆られる道筋はわかる。

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p84
更に、そこにはより根源的な問題がある。
原子力は原理的に安全でないのだ。
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この地球の上で起こっている現象が原子のレベルでの質量とエネルギーのやりとりに
由来するのに対して、
原子力はそのひとつ下の原子核素粒子に関わるものだというところから来るのだろう。
この二つの世界の違いはあまりに根源的で説明しがたい。
「何かうまい比喩がないか?」とぼくの中の詩人は問うが、「ないね」と
ぼくの中の物理の徒はすげなく答える。
「原子炉の中の燃料」というのはただのアナロジーであって、
実際には「炉」や「燃」など火偏の字を使うのさえ見当違いなのだ。
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