ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ主演。79年作。

仕事第一の男テッドがある夜帰宅すると、荷物をまとめた妻ジョアンナが彼を待ち受けていた。
「誰かの娘や妻ではない自分自身を見つけたい」と言い残し、彼女は去って行った。
息子と二人残されたテッドは、失意の中家事に奮闘。
数々の失敗やケンカを乗り越えて父と子の間に深い絆が生まれた頃、息子の養育権を主張するジョアンナがテッドの許を訪れた…。


う〜ん、こういう映画が79年に発表されていたとは。
登場する子は、小学校1年生の設定。
ということは、ちょうど私たち(72年生まれ)とその子が同年代、ということになる。
なのに、D.ホフマンやメリルが演じるその親の境遇に、今の私がとても共感している。
まるまるひと世代も違うのに。
アメリカは進んでいたんだなあー。
つまり、母親も自分の道を持つべきだ、ということ。
父親も育児参加しなさい、ということ。
当時、この映画は製作段階ではある意味(「ハリウッド的」でないという点で?)「小品」と考えられていたのが、
フタを開けてみたら「数々の賞を総ナメにした」大ヒット。
仕事に追われる男性は家庭を顧み、思春期の子どもたちも身近な離婚問題と照らし合わせて自分が両親に愛されていることを確認しようとした。
離婚裁判でも、判例のようにこの映画が参考にされたそうで、当時の社会文化に少なからず影響を及ぼしたものだという。
それにしても、この映画が特に感動を呼ぶのは、親権を争うという、夫婦だった男女の憎しみだけが深まっていくのではないかと思われる状況の中でも、最終的にはお互いの人権を尊重しあっている、というところが描き出されているところにあると思う。
夫側の弁護士が、妻に「このようになったのは、あなたの性格に問題があったからですね」と追及する場面で、夫は、妻だけにわかるような、首を小さく横にふる「そうじゃないよ」というサインを送る。
裁判では勝つために、弁護士が当事者も思いもよらないような論証を進め、互いを事実以上に深く傷つけてしまうことがある。
そういうやりあいを鵜のみにせず、夫も妻も、もとは愛し合っていた互いの芯のところは尊重しあう。
そして、どちらも「子どもをまず尊重する」という点で一致する。
そして、その結末は・・・というところで、表面的には「お母さんがっかり・・」ということになるのだけれども、
「子どもの今の最善の環境を壊さない」という点で、子どもを尊重したことになるのかな、と・・・女親の私としては納得せざるを得ないのですが・・。
いずれにしても、私はもっと早くこの映画に出合っていたら、もうすこし前に新しい考え方を身につけることができていたかも、と思いました。