ふるい絵本3冊

下記の絵本3冊は、どれも私が幼稚園に通っていた頃、園から渡される月刊購読絵本として購入していた「こどものとも」の中の絵本たち。
私の実家では、私が子どもの頃に読んでいた絵本をほとんど保管してあったのですが、その中でも特に私の心に残っていたものが、この3冊でした。
これらは、今では我が家の子どもたちも愛読しています。
さて、私はどうして私はこの3冊のことをよく覚えていたのだろう、ということを思います。
それは、この3冊の絵本の内容に共通して「人生において誰もが経験せざるをえないほろっとしたせつなさ、悲しさ」ともいうべきテーマが流れているからではないか、と考えます。
ふつう、子ども向けの絵本、というと、ただ単純に楽しいものであったり、啓蒙的すぎるものであったりすることも多いと思います。
けれどもこれらの絵本は、子ども心にも、その時は読んでいてよく理解できないのだけど、なぜだかチクリと心が痛むような、そんな要素が含まれているのです。
その「チクリ」が忘れられない記憶として、私の心の中にも刻まれているのです。

そらいろのたね

そらいろのたね

どんどん大きくなっていく、そらいろの家。
たくさんの動物たちやお友達が入って楽しみます。
でも、その家をひとりじめしようとしたキツネのために、その家はあっという間にくずれて消えてなくなってしまいます。
そして、目をまわして伸びてしまったキツネだけが残ります。
そらいろのいえが、ずっとおおきくて、みんなでもっとあそべたらたのしかったのにな。キツネがひとりじめしなければよかったのに。でも、キツネだって、おうちがこわれるとはきっとおもっていなかっただろうにな。
しょうぼうじどうしゃじぷた

しょうぼうじどうしゃじぷた

消防車じぷたは、ほかの消防車や救急車よりも小柄で、まわりと自分を比べてうらやましく思います。
けれども、自分らしさを発揮して活躍できた場面を通して、自分に自信を持つようになります。
つよくてかっこいいのっていいな。でも、じぶんもじぷたみたいにそうじゃないかもしれない。けど、じぷたはかつやくできて、みんなにすごいっていわれていいな。

ジオジオのかんむり

ジオジオのかんむり

ライオンのジオジオは、年をとっても森の動物たちに百獣の王とおそれられます。
けれども、安全なところで卵を産みたい小鳥に、ジオジオは自分の頭の上のかんむりを貸すことで、ふたりは仲良くなります。
その後、小鳥のひなは元気に孵って、ジオジオと遊びます。
けれども、年をとったジオジオの目は、もう見えなくなっていました。
としをとると、めがみえなくなるんだな。めがみえないって、どんなだろう。くらくて、こわいだろうな。いつかかならずみんなも、じぶんもとしをとるのかな。