最近、娘(小4)と<女子トーク>をするのがおもしろい。
娘はこのごろ『キラピチ』とかいう「JS(女子小学生!)雑誌」に夢中で、
「私も『読モ』になりたい!!」
などとキュンキュンしながら話す(笑)ので、
(親譲りの十人並みな容姿で何を・・・)
と言いたいところをぐっとおさえて、
「どうして?」
と聞くと
「だって雑誌に載っている子たちがみんな楽しそうなんだもん」
という。
・・・動機は悪くない、そうだね、楽しそうな子に憧れるのはいいこと、だ。
でも、ちょっとした間のあと
「あ〜あ〜、わたしももっと目がぱっちりしていて、いろじろで、モモがほそかったらよかったのになあ〜〜
(雑誌の中の)○○ちゃんみたいにハーフがよかったな〜〜」
とため息をつきながら言うので、
「そうだねえ〜、でももしさとちゃんがハーフだったらそれはもはや今のさとちゃんじゃないよ」
などと答えていたら、昔読んだ本を思い出した。
家田荘子さんの本で、私が高校生の時にベストセラーになっていて、読んだ。
その本には、家田荘子さんの当時の結婚のことが書かれていて、
黒人の人と結婚するのにまわりからは反対されたけれど、生まれた子の肌の色が「オレンジ色」で、
それが本当にとても美しいと思った、というくだりがあった。
私はそこの部分にとても感動して、
「私も黒人のひとと結婚したい!」
と高校のクラスメートに宣言したら、一笑にふされたのだった。
今思い出すとあれは、
マイノリティーでも自分の感覚を曲げない強さと美しさに惹かれたせいだったと
言葉をつかって表現するならそういうふうに思う。
しかし私はその後<黒人のひと>とは出逢うこともなく、今に至っているわけだけれども、
その時に感じた感覚は決して失われてはいない。
とにもかくにも娘が言っているのは<白人のひととのハーフ>ということにしても、
「もし〜だったらなあ〜」と実現しそうもないことに思いをはせて、
あこがれたり、感動したり、ため息をついたりするのは若さの特権だなーと
ちょっと考えてしまったひとときでした。
そしてそう、たくさんそういう経験をしたらいいよ、
将来生きていくうえできっと糧になるから、と心のなかで思いました。