【人に本をすすめるということ】
最近ある本がふと読みたくなって、本棚からひっぱり出してきて読んでいた。
すると息子(中3)が、「あ、その本教育実習の先生がみんなにすすめまくって(?)いた本だ」という。
瞬間、私は思わず「えーっ?」とすっとんきょうな声をあげてしまったほど驚いた。
この本の内容を、中学生がわかるとも思えない、わかったら大変だよ、と息子に言うと、
「ふーん」くらいでまったく興味はない。よし、それでいい。
だいたい、大学院生の25歳くらいの男の子にも、わかるんだろうか。
いや、わかるとしたら話が合いそうだ、いやいや、ちょっと気持ちが悪い(笑)。
とか思いながら、中の文章の、いいと思うところを声に出して読む。
(我が子にこれを音読してやるというのはギリギリの選択だ。)
お母さんはね、このこれこれこういうところの表現が好きなんだよ、
人の気持ちを、こういう言葉で描ける作家はなかなかいないんだよ。
だからすごく読まれているんだけど、この作家がものすごく好きな人もいれば、
何がいいかさっぱりわからない、大っ嫌いという人が半々くらいらしいよ。
娘(小6)「ふーん」。全然わかっていない。
うん、わからなくてよし。
と思う親心でわからない日々が続けばいいと思う反面、
こういう心の綾をわかる日が来てしまうのか、わかるほうが生きている甲斐があるというものなのか、
複雑な気持ちになります。
人に、本をすすめるというのは難しい。
自分の心をさらけだすような気がしてしまうから。
ある本は自分の癒しのためだけにあって、人にすすめる類のものではない。
どんなにそこを誰かに共感してほしいと思ったとしても。
というところで私はブレーキをかけるけど、
その先生、ブレーキかけられなかったのかなー。
なんて言いながら、こんなことを書いている私こそが誰かに共感してもらいたいんだ。
という笑い話です。