DS(ゲーム)

我が家にサンタさんが、ゆーきのところへ「DS」本体をもってきてから約3ヶ月。
ゆーきは毎日「30分」の約束でどっぷりゲームの世界を楽しんでいます。
ポケモン」だとか「ファイヤーエンブレム」だとか言って、やっていくごとにストーリーの展開が
深まって?いって、面白いみたいです。


ゲームしたいがために、一応本を読んだり、ドリルをやったり、ピアノを弾いたり…と「やること」をこなしてるけど、
「やることやったから、いい?」と聞かれるのはなあ…^^;。
それらの「やること」をもっと丁寧にできるといいし、ほかにもっと、有意義な熱中できる何か… が君に見つかるといいんだけど…


なんて私は小言を言ったり、頭で思いつつ、
ゆーきはパパとはゲームの話で異常に盛り上がっている。
それはそれで、親子のコミュニケーションとか、「話をする能力」を磨くという点で、
悪くはないのかもしれない。
それにパパも一応わきまえてはいて、あまりゆーきがゲームの話ばっかり聞いてくると
「その前に、学校の話もしなさい。」
ともちかけて、学校での出来事を話す機会を作ってやってもいるし。


とにかくそれでも、そんな立場の私なので、
私がゲームをする姿を、ゆーきにはあまり見せたくない。
と思うのだけど、これがまた、ニンテンドーはずるい戦略で、
「役に立ちそうな」学習系ソフトもたくさん出している。


そんな中で、こっそりオトナ買いした私のDSソフトたち。
「英語が苦手な大人のDSトレーニング  えいご漬け
「漢字そのまま DS楽引辞典」
平成教育委員会DS」
「でんじろう先生の不思議な実験室」



…ゆーきが寝たあとでひっそり、勝手に本体を借りて、
まだ起きているゲンキをひざの上にのせて、やっている私なのである(笑)。


が、これがまた、うまくできている。
お、おもしろい。


とついうなってしまうような、しかけが出来ているんだよねえ・・・
本当に、最近の「テクノロジー」ってやつは、すごい。
TVをみるよりかは、よっぽど能動的で、頭にもイイかもしれない。


しかし、「かもしれない」ってだけかもしれない、ともやっぱり直感的に感じる。
なんだか久々に勉強した、って気分になって、
クイズで「○」だったりすれば、やった〜^^と思うけど、
やっぱり「正解」する問題は、ちゃんと昔机上で体系的に勉強した経験があってこそのこと。
だから「学習系ソフト」とはいえ、「DS『で』勉強する」というのはやっぱり無理なんじゃないか。
別の形できちんと勉強したことを、「確認する」程度になら役割を果たしそうだけど。
なんとなく勉強した気にさせられるだけで、「身に付ける」というのとは違う。


なーんてこととなどをつらつら考えながら、
でもこれからも夜な夜な、DSやってしまうかもしれない。

そのうち、カタコトのげんきが
「ママがにいにいのDSつかってたよー」

とつげ口しはじめるかもしれないので要注意ではあるが^^;。



やっぱり子どもでも大人でも、人間にとって大事なのは
まずは手や体、頭ぜんぶを駆使した現実の世界での「体験・経験」。
環境、人からの影響

心を動かされる・「感動」。

繰り返し、継続。記憶。

その中から生まれた「?」を追求する力。
本にあたったり、人に聞いたり
自分が体も頭も手も動かして
試行錯誤を繰り返して
どんどん深めていって


ここまで行って、やっと身について
人の役にたったり、「仕事」になったり…。


かな。



ゲームの中の世界じゃ、どんなに精巧になったって、小さすぎる。



あ、でも最近、
ゲームで、自分の陣地を広げていくのに、「実際に旅行して」ポイントを稼ぐ
とかいうのがあるみたいで。
へえ〜現実の世界とリンクしたゲーム、っているのもおもしろいといえばおもしろいんだろうね。



時間は短い。
親は、どこまで用意できるかな?
歴史が 環境が
どうにもならないこともある。
だから・でも・考えて。
行動して。
私自身の人生を大事にすれば、
それも伝わるよ。